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世界の自称独立国家⑤ 球体の国、クーゲルムーゲル共和国

  • 5月23日
  • 読了時間: 5分

建国:1976年12月19日 / 場所:オーストリア・ウィーン市プラーター公園 / 現元首:リンダ・トライバー大統領

ウィーンのプラーター公園を歩いていると、観覧車の足元あたりに奇妙な光景が現れる。

直径8メートルほどの球体の建物が、有刺鉄線のフェンスに囲まれて鎮座している。オレンジ色の外壁には無数の標識が貼り付けられ、主張が書き連ねられている。近づいてみると、フェンスには「国境」を示す看板があり、入口らしき場所には「クーゲルムーゲル共和国(Republik Kugelmugel)」と書かれている。

これは国だ、と看板は言っている。オーストリアのど真ん中に、オーストリアの法律を拒否した独立国がある。領土は球体一個分。面積は94平方メートル。世界でも指折りの「小さな国」が、今日もウィーン市民の散歩コースのそばで静かに存在し続けている。



球体は「二次元空間における定常曲線」である

話は1971年、オーストリアのニーダーエスタライヒ州カッツェルスドルフに始まる。

芸術家のエドヴィン・リップブルガーは、息子のニコラウスとともに、球体の建物を建設した。直径約7.68メートル、木材を組み合わせ亜鉛板で覆ったその家は、彼の建築哲学の結晶だった。リップブルガーは「球体こそが自然と最も調和する、新しい住居の形」と確信していた。

問題は、当局がそう思わなかったことだ。

地元の建築当局は、その形状を理由に建築許可を拒否した。球形の建物など前例がない、法令の基準に合わない、というわけだ。リップブルガーは繰り返し申請し、繰り返し却下された。

やがて彼は、ある論理的な(?)結論に達した。「この球体は、自らの中心点を持ち、地球の地心(ジオセンター)から独立している。したがって、ニーダーエスタライヒ州の建築法令の適用外である」。

つまり——球は丸いから、法律が当てはまらない。

当局はこの主張を認めなかった。しかしリップブルガーも引かなかった。


独立宣言、そして刑務所へ

1976年12月19日、エドヴィン・リップブルガーは球体の建物をひとつの独立共和国と宣言した。その名が「クーゲルムーゲル共和国」——ドイツ語で「球体の丘」を意味する。

彼は自ら大統領(「エドヴィン1世」とも称した)に就任し、国家のインフラを整えた。独自の切手を印刷し、独自の通貨と旅券を発行した。そして当然の帰結として、オーストリア政府への納税を拒否した。「ここはオーストリアではない。別の国だ」という論理の一貫した行動だった。

さらに彼は、球体の家の周囲に自作の道路標識を建て始めた。これが当局の逆鱗に触れた。1979年、リップブルガーは「公権力の不法な行使」を理由に逮捕・起訴され、10週間の実刑判決を受けた(当初は10か月とも)。

しかし、ここで思わぬ展開が起きる。

この一件がニュースになると、オーストリア市民の間で「あの球体の家の男」への共感が広がった。「独立国家」に市民として加わりたいという声が続出したのだ。世論の空気を読んだオーストリアのルドルフ・キルヒシュレーガー大統領は、リップブルガーに恩赦を与え、実際の収監は免れることとなった。

球を丸ごと一国と宣言した男は、大統領の恩赦によって刑務所を回避した。これもまた、ミクロネーション史上屈指の珍場面である。


プラーター公園への「移転」という解決策

建物の破壊も、完全な追放も難しくなったオーストリア政府が選んだ解決策は、「移転」だった。

1982年、当時のウィーン市文化担当参事官ヘルムート・ツィルクの肝いりで、クーゲルムーゲルはウィーン市内のプラーター公園へと移転することが決まった。あの名高い観覧車「リーゼンラート」のすぐそばだ。

引越しの方法は——トラックで運ぶ。球体の家は車輪の上に乗せられ、のろのろとウィーン市内を移動した。その姿はそれ自体がひとつのパフォーマンスだったと伝えられる。

プラーター公園に落ち着いたクーゲルムーゲルは、有刺鉄線のフェンスで囲まれ、独立国の体裁を保ったまま観光スポットとなった。外壁には当局への不満と主張を書き連ねた「シャイセ(糞)リスト」が貼られ、独立の意志を今も叫んでいる。住所は「Antifaschismusplatz 2(反ファシズム広場2番地)」——市当局に抵抗する姿勢が、住所にまで刻まれている。

ちなみに「反ファシズム広場」に建物はここ一軒しかないのに、なぜか番地は「1番地」ではなく「2番地」だ。理由は謎のままである。


現在のクーゲルムーゲル——観光地になった反逆の球

エドヴィン・リップブルガーは2015年に87歳で亡くなった。しかし球体の家は今も存在し、共和国は続いている。

建国者の没後は息子のニコラウスが引き継ぎ、2022年からはリンダ・トライバーが大統領に就任した。市民数は650人以上(全員が非居住の「遠隔市民」だが)。近年は大規模な修復工事も行われ、年に数回、展示やパフォーマンスイベントのために一般公開されている。

今やクーゲルムーゲルはウィーンの人気観光スポットのひとつだ。プラーター公園を訪れた旅行者がリーゼンラートの写真を撮ったあと、ふと隣を見ると有刺鉄線に囲まれた球体の国がある。そのギャップが、観光客を引きつける。

もっとも、内部に入ることはできない。国境の外から眺めるだけだ。それでも、看板と有刺鉄線が「ここは別の国だ」と主張し続ける光景には、ある種の迫力がある。


「球は丸いから法律は適用されない」という論理の正しさ

クーゲルムーゲルが面白いのは、その建国の動機がきわめて純粋だからだ。

政治革命でもない。経済的な独立でもない。海賊放送の逃げ場でもない。ただ、「球体の家を建てたかった」。それだけだ。

当局に建築許可を拒否された芸術家が、「ならばこの建物はオーストリアの法律が及ばない別の国だ」と宣言した。その論理は荒唐無稽に見えて、ある意味で一貫している。建物のかたちが法律の適用を決めるという前提を受け入れさえすれば、すべての主張は筋が通っている。

芸術家の発想とは、そういうものだ。前提を疑い、ルールを問い直し、誰も思いつかなかった角度から物事を見る。クーゲルムーゲルは、その「見方」そのものを建物にしてしまった国だ。

球体の家は、今もウィーンの公園に立っている。有刺鉄線の中で、静かに、丸く、独立し続けながら。

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